chacha子@読書

書評への愛、あるいは未知の知覚について

始めに。

 これはある会社員の読書記録である。彼女はレモンパイを食べたことがない。それゆえに、それへの愛は青空の映る朝焼け通りの水たまりよりも深い。アップルパイは既に知っており、それへの愛は虹の映る昼下りの路上の水たまりよりも濃い。つまり何が言いたいかというと、水たまりはとても可愛いということだ。あんな健気で清らかな小さいものはない。
 今、彼女が耳が痛いために赴いた耳鼻科の待合室の窓辺には、簡素ながら優美な曲線を描く格子が嵌っている。大量のみかんを積んでいるであろうトラックがブオンと音を立てて通り過ぎる。室内には可愛らしい動物の人形が並び、来客を和やかに癒やしている。昔は児童書がたくさん詰まっていた本棚には、今は無味乾燥な黒いビニールがかかっている。辛い時代であるが、もう少しで自由を取り戻すことができるのだと思うでもなく思う。
 彼女の言葉はあらゆるところで育ってきたに違いない。今述べた待合室の本棚で、学級文庫で、図書室で、近所の図書館で、大人になった後は、行きつけの本屋で。
 彼女は善い言葉が紡げるようになっていったらいいと感じている。そして、より良い言葉を撚りあわせるために、これから読書記録をつけることにしたのだった。
 翠露が揺れている。天衝入道雲と、快くたゆたう水の季節に、彼女は、私は、言葉の森林に静かに分け入っていく。