chacha子@読書

書評への愛、あるいは未知の知覚について

読書感想文 穂村弘『短歌のガチャポン』

 作者の穂村弘は、稀代の短歌解説者だと思う。歌人という肩書の次に掲げてほしい名称だ。短歌の煌めきを一つ残らず掬い上げることにかけて、彼の右に出る人はいないだろう。
 『短歌のガチャポン』には、古今東西から集められた100首の短歌が収められている。その全てに穂村弘の解説つきだ。斎藤茂吉から平岡直子まで、有名な歌人たちからそうでない人たちの珠玉の短歌が並ぶ。
 「僕らには未だ見えざる五つ目の季節が窓の向こうに揺れる」。山田航の作である。穂村弘はこの季節を「未来」だと受け取った。確かに、理屈を超えてこれは春夏秋冬以外の何かなのだ。どの季節にもまだ浸されていない、まっさらな未来として第五の季節を感受した穂村弘の慧眼に驚く。
 「思ひがけぬやさしきことを吾に言ひし彼の人は死ぬ遠からず死ぬ」。これは安立スハルの作であるが、これを鮮やかに「死亡フラグ」と見切った著者の、聖俗を自由に行き来する足取りの軽さに小気味よい気持ちになる。
 「野口あや子。あだ名「極道」ハンカチを口に咥えて手を洗いたり」。野口あや子のこの作を、筆者は他の書籍でも何度も取り上げている。この短歌の魅力を、穂村弘は説明しやすくない、とカテゴライズしている。短歌にはそういう、「魅力的にも関わらず、その理由が説明しがたい」作品が存在する。
 「双子でも片方は泣く夜もあるラッキーアイテムハンカチだった」。作者はこんこん。穂村弘は即座に「「片方」が泣いた時、もう「片方」がハンカチを出して涙を拭いてあげる。そんな美しい夜があるのかもしれない」と幻視する。その想像自体が例えようもなく美しい。
 「鯨のなかは熱くて溶けてしまいそうと輪廻途中の少女は言えり」。渡辺松男の作であるが、彼の作品の特徴を、穂村弘は「巨大な手が生と死の全てを掻き混ぜるような自由さがある」と表現する。それはすなわち神の手であろう。穂村弘のこの表現こそが自由で開放的な響きを持っている。
 その他にも魅力的な短歌が多数紹介され、穂村弘の独特の視点からその全てが解説されている。もちろん、穂村弘の評が全てではない。読者それぞれが、それぞれの感想を抱いていいのだ。正解や不正解という次元を超越して、自由な短歌の世界に泳ぐ。それが許されていることに感謝をしつつ、私達はまた短歌を読むのだろう。たまに詠んでみたりもしつつ。穂村弘という大きな神様の腕にぶら下がって、目の前の短歌は新たな煌めきを放つ。